近藤織部(こんどうおりべ)/近藤幸殖(こんどうさきたね)/近藤鐸山(こんどうたくざん) 文化10年〜明治23年8月30日(1813-1890)
国学者・亀山藩家老。名、幸殖。通称、織部。号、鐸山。三重県出身。父、平巌几兮(二男)。亀山藩家老近藤幸孝の嗣子。梁川星巌に詩を、鬼島広陰に国学を学ぶ。佐々木弘綱・井上文雄・藤森弘庵らと交流。国学者であるが家老を継ぐ。朝廷の親兵設置に際し、小藩ながら9名の藩士を参加させ、勤王の志を示す。このため幕府より国に蟄居となる。明治元年(1868)幽閉を解かれ軍事奉行となるが、保守派のため再度幽閉となる。明治2年(1869)幽閉を解かれ亀山藩大参事。廃藩後静かに暮らす。77歳。
墓は、谷中霊園 乙2号6側。正面「近藤幸殖/近藤捨子 之墓」。