松本良甫(まつもとりょうほ)    文化3年〜明治10年2月6日(1806-1877)

    幕府御典医・蘭方医師。名、載。字、成伯。通称、寅三郎、良順のち良甫。号、護斎。福島県会津出身。父、代々の会津の神職。幼くして父を亡くし、修学に苦労する。佐藤泰然と親交を結び、泰然紹介で高野長英・足立長雋(ちょうしゅん)に蘭学と医学を学ぶ。貧しい中、長崎で蘭医ボンベに蘭方を学ぶ。天明6年(1786年)幕府奥医師祖父善甫が改易されたが、天保10年(1839)幕府に仕え、弘化3年(1846)8月3日松本家を再興。嘉永2年(1849)12月16日寄合医師となる。また、同年友人で佐倉藩藩医で順天堂を創った佐藤泰然の子(次男)良順(順とも:1832-1907)を養子とする。安政5年(1858)大槻俊斎らとお玉が池種痘所設立に参画。同年10月16日吉田収庵とともに奥詰医師製薬所掛となる。文久3年(1863)11月9日奥医師となる。文久4年(1864)2月18日法眼となる。高野長英が窮乏したとき援助し、江戸で開業させる。維新後、陸軍軍医総監。72歳。

※ 父は、"町医者の良甫"とする説があるが、町医者の良甫が没したのは、1826年であり、当良甫が20歳の時に当たる。"幼なくして父を亡くした"とする説と矛盾する。

墓は、谷中霊園 甲新16号24側(乙11号14側から移転)の佐藤泰然の墓域内にある。正面「前侍醫法眼松本戴/同夫人三浦禄子 墓」。「覚性院殿良甫源善賢居士」。対面に祖父松本善甫の合祀墓がある。