三浦英蘭(みうらえいらん)/三浦久子/会田久子    明治13年〜昭和32年9月21日(1880-1957)

    漢詩人・画家。父、津軽藩士三浦久保(長女)。号、はじめ永蘭のち英蘭・翠霞。漢学を鯱松塘の娘采蘭、渡東皐に師事。和歌・国文を浅草三社宮司大畑弘国に師事。書を金井金洞に師事。ほかに、茶の湯、華道、琴曲を学ぶ。日本画は、佐竹永湖に師事し、文晁派を学ぶ。随鴎吟社に入り、土井香国、岩渓裳川、結城蓄堂等の指導を受け漢詩を学ぶ。明治40年南画を始め、児玉果亭に師事。後、漢詩を国分青高ノ師事。日本画会、日本美術協会等の開催展で受賞。食虫有毒にて死去。没後、夫の会田範治が遺稿をまとめて出版。著:「英蘭遺稿・英蘭餘影 5冊」。

墓は、寛永寺第二霊園。墓地入り口より中央通路中ほど左側入る、数基目。