佐竹永湖(さたけえいこ)    天保6年12月〜明治42年7月24日(1835-1909)

    日本南宋画家。本姓、加藤金太郎。幼名、金太郎。名、子璋。号、九成堂、泰峩、巍々堂など。鳥取県出身。代々輪王寺官家の銀奉行の家に生まれる。初め鳥取藩絵師沖一峨に土佐派・狩野派など諸派を学び、のち佐竹永海に師事、見込まれて養子となる。狩野・土佐・南画・北画らを研究し一家をなす。文晁派の名手。宮内省御用絵師で皇室御用画をたびたび描く。明治12年(1879)ドイツ皇孫、明治14年(1881)ハワイ国王来日の時、席上で描く。内国絵画共進会・内国勧業博覧会等で多数受賞。日本画会審査員。弟子に福田浩湖、山川永雅、織田旦斎らがいる。75歳。佐竹永陵は養子。作品:「雲中西王母図」・「観音図」、「松下孔雀図」など。

墓は、谷中霊園甲9号14側。初代佐竹永海、3代佐竹永陵の墓もある。「浄潤院無尽斎堪々永湖居士」("湛々"説あり)。