佐竹永海(さたけえいかい) 享和3年〜明治7年12月24日(1803-1874)
幕末の彦根藩御用絵師。名、永海。字、周村、通称、衛司。号、愛雪楼・九成堂・梅九・周村・愛堂・幽宝子・天水。父、会津藩御用絵師。会津若松出身。代々会津藩御用の蒔絵師の家柄。はじめ萩原盤山に、のち江戸に出て谷文晁に師事し、「写生楼」の塾頭となる。山水花鳥を得意とし、酒井抱一風や南宋画と北宋画の画風を加えた折衷画風が特徴。文晁の推薦により彦根藩井伊直亮(いいなおあき)の御用絵師となる。のち、法橋についで法眼に叙せられる。酒豪で奔放であり、奇行逸話に富む。弟子には松本楓湖がいる。72歳。作品:「秋月野花図」など。
墓は、谷中霊園甲9号14側。正面「佐竹永海之墓」。「横超院譲々斎上善釈永海居士」。子ら佐竹永湖、佐竹永陵の墓もある。