佐竹永陵(さたけえいりょう)    明治5年5月25日〜昭和12年1月8日(1872-1937)

    日本南宋画家。本名、銀十郎。旧姓、黒田。別号に写山画房・巍々堂。父、新吉原黒田源十郎。東京浅草出身。祖父、正木龍塘に書を学ぶ。明治20年(1887)佐竹永湖に師事し、南北合派を学ぶ。明治27年(1894)明治天皇が日本美術協会行幸のとき、青年画家7名と席上にて絵を描く。明治31年(1898)「日本画会」の結成に参加。明治32年(1899)永湖の娘松と結婚し佐竹を名乗る。明治39年(1906)松林桂月・小坂芝田らと「日本南宋画会」を創設。帝国絵画協会会員。日本美術協会・日本画会審査員。「文展」開設では旧派の正派同志会の結成に幹事として参加。また谷文晁の研究・鑑定をおこなう。子の建造は画家とならず歯医者となったため、佐竹画系は三代で終わる。66歳。

墓は、谷中霊園甲9号14側。初代佐竹永海、2代佐竹永湖の墓もある。