水野正連(みずのまさつら)     天保14年〜明治21年10月11日(1843-1888)

    明治前期の水産啓蒙家。小田原藩士の子として江戸で生まれる。明治2年(1869)小田原藩半隊長。明治7年(1874)青柳政浮・仁科信敬らと足柄県権属。明治9年(1876)神奈川県13等出仕し、内国博覧会事務および水産に関係する。明治11年(1878)三重県6等属として魚政を担当し漁民を督励する。管内沿海の漁業について「水産図説」を著わし、第2回内国勧業博覧会に展示する。明治15年(1882)農商務省農務局6等属になり、水産課員に転じる。明治16年(1883)新設の水産局で試験課に移る。大日本水産会委嘱巡回教師として全国の水産指導を行う。明治20年(1887)宮城・岩手を巡り、山口水産共進会審査長兼伝習教師。明治21年(1888)農務省4等技手上給俸。46歳。著書:「漁業税徴収法」、「漁村貯蓄法」、「煎海鼠製造概説」。

墓は、谷中霊園 乙6号14側。通路西側。碑文は、織田完之撰文・田中芳男篆額。母の墓碑は、隣接して在る。