望月毅軒(もちづききけん)/望月綱 文政元年〜明治11年11月25日(1818-1878)
幕府儒官。名、綱。字、孟玉。通称、万一郎。号、毅軒。下総出身。本姓、京極。17歳のとき昌平校に学ぶ。野村篁園に師事し、詩を習う。
友野霞舟・乙骨耐軒・向山黄村らと交遊。京都町奉行
浅野長祚(ながよし)/浅野梅堂に仕え信任を受け、「書画銘心録」の編纂に従事。元治元年(1864)幕府儒官となり、昌平校儒官として「望月門」を設立。維新後、慶応3年(1867)徳川家達に従って静岡に移り、静岡藩学問所1等教授となったが、廃藩置県ののち明治6年(1873)新政府に招へいされ修史局地誌課一等編修勤務。明治9年(1876)地誌課が廃止となり、私塾を開き教授する。毅軒は仏理および本朝典故に詳しく、「皇統譜」を著わす。61歳。
墓は、谷中霊園 乙3号15側。園池家の隣りの隣り。正面「毅軒望月先生之墓」。隣りに「望月綱一族之墓」がある。没年日は、周囲の条件が悪く撮影できないが、確認済み。