中嶋佐衡(なかじまさこう)    天保7年〜明治22年6月13日(1836-1889)

    元老院議官。通称、四郎。明治元年(1868)大総督府より、徳川脱艦追討のため駿州清水港へ遣わされる。谷村小吉と徴士・海軍局船将。航賊追討命を受け甲鉄艦に乗り、奥海に戦い蝦夷を衝く。明治3年(1870)小艦隊を指揮し横浜港守衛、かつ東海海岸警護。「龍驤」艦長、海軍中佐、のち大佐。明治5年(1872)工部省5等出仕、造船権頭兼製作権頭。横須賀造船所勤務。明治6年(1873)鉱山助。明治14年(1881)営繕局准奏任御用掛。明治15年(1882)工部少書記官。明治21年(1888)元老院議官。正4位勲4等双光旭日章綬章。明治22年(1889)3月胃癌を患い、6月13日在職中に本郷邸において没する。54歳。

墓は、谷中霊園 乙8号7側。「浅田宗伯」墓前。「日下義雄」墓の並び。正面「元老院議官 正四位勲四等中嶋佐衡/妻 茂子 之墓」。墓碑周りに略歴(没年日を含む)あり。