大橋乙羽(おおはしおとわ) 明治2年6月4日〜明治34年6月1日(1869-1901)
小説家・紀行作家。名、又太郎。号、乙羽庵・二橋生・蚯蚓庵。父、渡部治兵衛(6男)。博文館主大橋佐平の娘婿。山形県出身。15歳で父を、19歳で母を亡くし、家が貧しく小店員などして苦学。明治21年(1888)磐梯山噴火の踏査記事を東陽堂主人に認められ、翌年東陽堂に入り、「風俗画報」の編集に携わる。その年、尾崎紅葉・石橋思案らの紹介で「硯友社」に加わる。処女作は「露小袖」。東陽堂・中央新聞に執筆。また、写真・紀行を好み、記者・文士をする。明治27年(1894)大橋家に入ってからは、文筆を断ち博文館に勤務、支配人となってから出版業を発展させる。明治33年(1900)欧米を訪問。34歳。著書:「千山萬水」、「欧山米水」、「世界一周」、「花鳥集」、「乙羽十種」など多数。
墓は、養福寺墓地(西日暮里3-3-22)。山門より本堂に向かい左側の墓地。本堂に沿って行き、突き当り手前の大きな桜の木の前の通路を左に曲がり、すぐ左側。正面「大橋乙羽累代墓」。「華蔵院乙羽魁文居士」。