大井上輝前(おおいのうえてるちか) 嘉永元年10月22日〜明治45年1月14日(1848-1912)
北海道庁典獄。父、伊予大洲藩士。愛媛県出身。海軍少将大井上久麿の実兄。姓、藤原。明治維新まえに米国留学。明治2年(1869)箱館府弁官、対露渉外事務に当たる。明治3年(1870)開拓権大主典、樺太専務。明治5年(1872)開拓大主典。明治10年(1877)開拓1等属。明治14年(1881)奏任御用掛取調局。明治16年(1883)内務省監獄局勤務、北海道集治監建設事務取調。明治18年(1885)釧路集治監典獄。囚人の鉱山労働の惨状を知り、これを禁止するなどの人道的処遇に尽力。キリスト教の教誨師を採用して「監獄改良運動」を行った。明治27年(1894)不敬事件を理由に非職となる。退官後、札幌区議会議長。監獄に野球や草競馬を導入。正六位勲六等奏任三等。65歳。
墓は、谷中霊園 甲9号12側(飛び地)。馬島瑞園墓の隣り(逆向き)。芳野金陵墓前を入る。正面「大井上輝前家之墓」。