大森方綱(おおもりまさつな?)    ?〜明治18年8月8日(?-1885)

    山岡鉄舟の門人。明治2年(1869)山岡鉄舟の指導により、松岡満とともに静岡牧ノ原の開墾に従事した。牧ノ原の開墾は、山岡鉄舟と共に江戸において「精鋭隊」を率いて、鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜の身辺警護にあたった中条金之助景昭や旧幕臣が藩主家達の援助の下に行ったもので、茶園3000町歩の基礎を築いた。また中条は山岡鉄舟の無刀流の道場を牧ノ原に開き、大森方綱も門人となった。明治15年(1882)3月に山岡鉄舟は、江戸無血開城前後の経緯について「戊辰談判筆記」に著しているが、大森方綱は、これを松岡満から借り受け同年6月に「明治戊辰山岡先生与西郷氏応接筆記」として出版した。

墓は、全生庵 (谷中5-4-7)。山岡鉄舟墓の斜め後ろ側。鉄舟墓裏の通路を左に行き、突き当り右角2基目。山岡鉄太郎と松岡満の建立とある。墓碑銘が徳利の絵に囲まれていて、故人が酒好きであったものと思われる。「清香院梅蘆方綱居士」。