大野松斎(おおのしょうさい)    文政2年4月17日〜明治21年7月17日(1819-1888)

    種痘医。父、大野与右衛門。藩医斉藤氏既に師事。秋田県出身。4歳で父を亡くし、叔父庄司氏に育てられる。はじめ久保田藩の藩医斎藤養達に医学を学ぶ。のち京都で新宮涼庭に、江戸で坪井誠軒に師事。のち、長崎でモンニッキに種痘法を学ぶ。浅草に開業し種痘を施す。皇后・親王・公爵・華族から平民にいたるまで貴賎を問わず扱った。種痘積善社社長。嘉永年間から40年間に亘り23万人余りに種痘術を施す。外出時には袂に焼きイモを入れて、子供らに与え種痘を施し広めたという。70歳。養子に大野恒徳がいる。門人に秋田種痘医北島陳直・児玉弘愛がいる。

 
墓は、天王寺墓地(甲9号18側)。玉乃世履墓の向かい。大野恒徳墓に並ぶ。