大野恒徳(おおのつねのり)    弘化3年5月27日〜明治36年5月28日(1846-1903)

    陸軍医・種痘医。本名、本橋縫之助。大野松斎の養子。正七位。常陸国稲敷郡根本村(栃木県)出身。江戸で大野松斎に師事し、種痘を学ぶ。大学東校に入り、得業生となる。兵部省に出仕、明治6年(1873)軍医補、兵部省軍医。明治10年(1877)西南の役に本病院第1課員。内務省御用掛兼仮座御用掛。明治15年(1882)軍医、一時北支那占領地守備隊。のち退役陸軍一等軍医となる。皇太子皇女に種痘を施術。満州安東県守備隊にて功を認められ正七位勲五等瑞宝章を叙せられる。著:「人乃命学の階梯」。訳:「製薬鑑法」。58歳。

墓は、天王寺墓地(甲9号18側)。玉乃世履墓向かい。大野松斎墓に並ぶ。正面「陸軍一等軍医正七位勲五等大野恒徳墓」。墓碑は、石黒忠悳撰。