大田晴斎(おおたせいさい)     天保5年〜明治30年3月28日(1834-1897)

     幕末明治期の儒者。名、修文。字、翼武。通称、成之進のち成之。号、晴斎・竹庵・玉海・澹淵。父、大田晴軒(長男)。祖父、大田錦城。父、大田晴軒に学ぶ。弘化年間(1844-1847)に三河豊橋藩侯の儒員として仕え、儒学教授となる。維新後は、致仕しもっぱら弟子を教授し、1000余の教え子を教育した。東京で病死。墓誌では享年65歳。著書:「白酔余談」、「探奇探勝」、「芸苑芟繆」、「管城借一」、「学歩稿」、「聞見雑録」、「蛍雪余談」など多数。

大田淳軒(おおたじゅんけん)/大田才次郎(おおたさいじろう)     元治元年6月10日〜昭和15年4月30日(1864-1940)

     明治-昭和期の儒者。名、才次郎。字、子徳。号、淳軒。父、大田晴斎(二男)。大田錦城の曾孫。父に教育を受ける。東京府立第一中学校講師。蔵書一切を関東大震災で失う。77歳。著書:「淳軒詩話」、「旧聞小録」、「史記列伝講義」、「新撰漢文問答」(編)、「日本児童遊戯集」(編)。

墓は、一乗寺墓地(谷中1-6-1)。大田錦城墓に並ぶ。正面「大田晴斎先生之墓/大田淳軒先生之墓」。晴斎においては豊橋妙円寺に歯骨を葬る。