大友義閭(おおともよしむら/よしさと)    寛文5年〜享保17年12月18日(1665-1732)

    江戸幕府の高家旗本。初名、親方。通称、長十郎・孫十郎。父、 大友義孝(二男)。母、岡局の養女。貞享4年(1687)9月徳川綱吉に拝謁。元禄2年(1689)11月表高家となる。宝永元年(1704)6月父義孝の隠居に伴い家督を継ぐ。宝永2年(1705)高家職に就き、従五位下侍従に叙任し、印旛守と名乗る。正徳元年(1711)従四位下。正徳3年(1713)高家肝煎。享保10年(1725)従四位上。享保16年(1731)10月辞職。正室は、青山七右衛門成政の娘。長男は、 大友義武。68歳。

墓は、玉林寺墓地(谷中1-7-15)。墓地入口の階段上を右に行き、突き当り高台付近に並ぶ大きめの笠塔婆群の中にある。正面「瑞厳院殿大中太夫前拾遺補閥兼因州刺史直応玄心大居士」。墓碑裏「大友義閭墓」。