小山春山(おやましゅんざん)    文政10年3月10日〜明治24年1月1日(1827-1892)

    漢学者・勤王家。名、鼎吉・朝弘。字、毅卿・遠士。号、楊園・春山。従五位小山馨三郎の父。下野真岡の裕福な家に生まれる。子供のころより医師満川日湖に師事。のち儒教や歴史を会沢正志斎に師事。家業の真岡木綿買継問屋が不振のため株を手放し、家督を弟に譲り、嘉永6年(1853)江戸に出て医術を幕医尾台良作に師事、漢学を儒者藤森天山に師事した。のち真岡で医を開業。傍ら、家塾を開き、詩文を揮毫して家計の足しとした。大橋訥菴らと親交し尊王攘夷に傾注した。文久2年(1862)「坂下門外の変」の容疑で大橋訥菴らとともに捕縛され一時投獄された。元冶元年(1864)子小山馨三郎が天狗党に入り、この義挙に関わったとして佃島に流される。維新後、武蔵大宮県判検事。明治2年(1869)浦和県権大参事となるがまもなく辞任し、明治5年(1872)栗山誠一郎・岩崎維慊らと司法省9等出仕。明治7年(1874)記録寮9等出仕。明治10年(1877)大蔵4等属。累進して明治15年(1882)1等属。まもなく退官し、東京で家塾を開く。下野の志士でありながら、日本画や書を残している。65歳。大正7年(1918)贈正五位。著書・紀行文:「妙義山金洞」、「小暇村観瀑」、「偕楽園看梅」、「春山楼文選」、「留丹録」。

墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓前を南に20m、左側。正面「春山小山朝弘之墓」。小山馨三郎墓は見当たらない。