大橋訥庵(おおはしとつあん) 文化12年〜文久2年7月12日(1816-1862)
江戸後期の儒者。名、正順。字、周道・承夫。通称、順蔵。号、曲州・訥庵・屠龍居士等。父、兵学者清水正徳(清水赤城)(四男)。義弟、菊地教中。日本橋の豪商大橋淡雅の婿養子になった。宇都宮藩出身。佐藤一斎の門に儒学を学び、26歳にして日本橋に「思誠塾」を開く。熱烈な尊王攘夷論者で、米艦来航で国内騒然とすると「闢邪小言」を著わす。安藤信正老中暗殺計画(坂下門外の変)を企て、文久2年(1862)に水戸浪士ら6人により実行されたが失敗し斬殺された。このとき既に大橋訥庵は2日前に密告され幕府に捕らえられていた。宇都宮藩邸に幽閉中に病気となり獄死する。47歳。明治24年(1891)贈従四位。著書:「元寇紀略」、「隣疝臆義」、「◇邪小言」など多数(◇:門構えに辟)。娘婿に大橋陶庵がいる。
墓地は、天王寺墓地。甲9号18側横通路を入り、40m程行った右側。広い敷地の右側に並んだ墓碑の一番奥。正面「訥庵大橋君之墓」。