大橋淡雅(おおはしたんが) 寛政3年7月28日〜嘉永6年5月17日(1789-1853)
豪商。名、良知。字、温卿。通称、孝兵衛・良佐衛門、のち長四郎。号、淡雅・東海享軒。父、医師の英斎は、商人にしたくて15歳で宇都宮の豪商菊地治左衛門(佐野屋)の婿養子(妻は民子)とした。医者への志望を捨て商人をめざす。文化10年(1813)正月江戸日本橋元浜町にて商売を始め、菊池気の通名「佐野屋長四郎」を継ぎ、呉服・木綿・質屋・両替・金貸しなどで一代にして巨富をなす。渡辺崋山をはじめ椿椿山・高久靄崖ら当代一流の文人や芸術家と交遊し、自らも書筆を得意とし、鑑定もした。特に草書を極め明の張東海の書風を好み自ら「東海」と号す。これが、のち菊池家の経営による「東海銀行」の名の起源ともなる。菊地家の養子であったが、大橋姓を名乗り、その後継ぎに「商人は不都合」として大橋訥庵を娘養子の婿とした。坂下門外の変の淵源の一つといわれている。子に菊池教中がいる。65歳。著書:「保福秘訣」、「富貴自在」。
墓は、天王寺墓地。広い敷地の正面一番奥。正面「淡雅大橋良知之墓」。「東海院淡雅温卿居士」。
大橋淡雅−−+−−巻子
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| +−− (長女)誠
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| 大橋訥庵 +−−−−−+−−(四男)菊池正|(脩軒)−+
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| 河田興−−大橋陶庵(正寿) | ※
| +(長男)菊池晋二(惺堂)
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+−−(長男)菊池教中 =−
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+−−+−(長男)菊池長四郎−−−−−−イト
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敬子 |
+−−−−−−(長女)久子 久吉
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| +−−−−(長女)艶子 ※
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| 菊池政隆(初代永之助)
| ?−−菊池仲盛(静軒)−−−★(養子)菊池正|(脩軒)(2代永之助)
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+−(二男)菊池武寛(仲栗)14代佐野治右衛門
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+−(三男)菊池武文
★部分の墓誌の記録