西光寺(さいこうじ)     創建:慶長8年(1603)

場所: 台東区谷中6-2-20
アクセス: 地下鉄千代田線千駄木駅下車、団子坂口より信号を渡り、谷中方面に三崎坂を上る。約500mほどの観智院(初音幼稚園)前を右に入り、約150mの左側。

     仏到山無量寿院西光寺。本所弥勒寺末。新義真言宗。本尊:十一面観音像。藤堂高虎の開基(※)。妙音院宥義(佐竹義篤の次男)が神田北寺町に開山。慶安元年(1648)当地に移り、佐竹修理太夫義隆が堂舎を再建。秋田藩佐竹家・伊勢津藩藤堂家の祈願寺であり、現在も松壽院殿(初代藤堂高虎の継室で2代藤堂高次の生母)と、宝樹院殿(高虎の次男藤堂高重)の宝篋印塔(供養塔)2基がある。山門を入り直ぐ右側に「韋駄天」像があり、シバ神の子で足が速いことで知られる。俗に韋駄天走りの語源でもある。豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに出兵した藤堂高虎が朝鮮より請来して安置したもの。反対側左には、六地蔵がある。旧住所は、谷中上三崎南町3番地。

※ 明治10年(1877)の入谷区の調査資料には、開山不明・開基宥義・開祖不明とある。

※ 徳川家康公が75歳の生涯を終ようとされていたときに、高虎公にこれまでの感謝を述べ「心残りはあなたと私とで宗門が違っているため、来世の浄土が違ってしまいます。それを思うと辛く寂しい」と涙を流された。それを聞いた高虎公も涙を流し「上様と同じ天台宗に改宗いたします」と即座に得度をし、天海大僧正に「寒松院」の法名を戴いたという。

下記のお墓がある。

資生堂創始者福原有信
写真家福原信三
藤堂高虎の二男藤堂高重・松寿院・・・供養塔