酒井忠興(さかいただおき)    明治12年6月6日〜大正8年9月22日(1879-1919)

    中祖雅楽助・伯爵・植物研究家。父、姫路藩主酒井忠邦(長男)。学習院を経て東京音楽学院を卒業。明治20年(1887)家督を継いで伯爵となる。妻は三條実美(公爵)の七女夏子。園芸を愛し、小石川原町の邸で花を栽培、とりわけ蘭など熱帯植物700種を育成する。明治36年(1903)の第5回内国博覧会に大隈重信、酒井忠興 両伯爵が「オドントグロッサム」を出品した記録がある。養嗣子に阿部正桓の子酒井忠正(阿部内閣農林大臣)がいる。忠正は忠興の長女秋子と結婚。二女菊子は、前田家17代当主前田利為と結婚。41歳。

※ 三条実美(さんじょうさねとみ:1837-1891): 幕末に長州寄りの尊王攘夷急進派の公卿で、幕府に攘夷決行を求め孝明天皇の大和行幸を企てる。文久3年(1863)の政変により長州に追われる(七卿落ち)。慶応3年(1867)の王政復古で復権。太政大臣にまでなる。

墓は、谷中霊園乙8号14側。正面「従三位伯爵酒井忠興墓」。