阪谷良之進(さかたにりょうのしん)     明治16年10月20日〜昭和16年1月4日(1883-1941)

    首里城を救った男。父、阪谷朗廬希八郎の二男の阪谷次雄(長男)。東京出身。3歳にして父を亡くし、叔父阪谷芳郎に育てられる。明治40年(1907)東京美術学校(東京芸術大学)図案科建築部卒業。同年内務省の嘱託として古社寺保存計画調査を行う。大正2年(1913)6月文部省嘱託として古社寺保存計画調査を行う。同12月朝鮮神宮新営工事を嘱託。以後も嘱託職を繰り返す。大正9年(1920)正七位に叙せられる。大正10年(1921)京都帝国大学工学部講師を嘱託。大正12年(1923)従六位。昭和2年(1927)正六位。昭和4年(1929)国宝保存会幹事・文部省文部技師・従五位。昭和6年(1931)勲六等瑞宝章受章。昭和8年(1933)重要美術品等調査委員会。昭和9年(1934)正五位。昭和10年(1935)勲五等瑞宝章。昭和14年(1939)従四位。昭和15年(1940)勅任官待遇となるも辞官。特免により正四位。昭和16年(1941)勲四等瑞宝章。国宝建造物の補修調査に一生を捧げ鎌倉にて没する。59歳。妻、勝子は、阿曾沼明の妹。著書:「大和の文化」、「美術建築としての金閣」、「京都府下の特別保護建造物」、「藤原時代の建築と仏像に就て」、「芝徳川家霊廟附権現造に就いて」、「国宝建造物」(解説)、「神社本殿の形式」、「古い鳥居を探ねて」など多数。

※ 主な業績:
  法隆寺西院廻廊鐘楼・経楼
  春日神社若宮細殿
  宇治神社本殿
  平等院観音堂
  三宝院
  本願寺能舞台
  知恩院多宝塔
  醍醐寺金堂
  首里城正殿
  西宮戎神社本殿
  など多数。 以上:出典は「首里城を救った男」 野々村孝男著 ニライ社出版

墓は、谷中霊園 甲9号10側(飛び地)。阪谷朗廬墓と同墓域。「宝和院精軒日良居士」。阪谷次男(明治20年9月16日没)も合祀。