佐藤正美(さとうまさみ)     文久2年8月22日〜昭和19年7月28日(1862-1944)

    日本初の民間信用調査会社「東京興信所」初代所長。前名、精一郎。父、大垣藩士佐藤只五郎(四男)。医学博士佐藤三吉の弟。明治11年(1876)大蔵省紙幣寮学場に入り、明治14年(1881)紙幣寮に出仕、のち、寮学寮監事・同教授。明治21年(1888)官制改革と同時に退官。明治26年(1893)秋山定輔と「二六新報」を発行。明治29年(1896)「東京興信所」を創立、部長のち所長。83歳。著書:「銀行会社要録」、「商工信用録」。
※ 「東京興信所」:商工業務の資産及び営業の状況を調査することを目的に、日本銀行や京浜地区銀行団29行が設立発起人。初代会長は渋沢栄一。その後、元大蔵大臣で日本銀であった市来乙彦、日本商工会議所会頭の八田嘉明、さらに総理大臣の石橋湛山へと会長が引き継がれた。

墓は、谷中霊園 甲9号9側。正面「佐藤家之墓」。