芝山祐豊(しばやますけとよ)    天保8年〜明治27年4月20日(1837-1894)

    歌人・勧修寺家の末裔・子爵。藤原北家勧修寺流の堂上公家11代目。坊城家の支流で、家格は名家。家職は歌道。父、坊城俊政(三男)。出自は勧修寺家。勧修寺家(かじゅうじけ)は、南北朝時代の公家坊城定資の子・経顕(つねあき:1298-1373)を祖とし、内大臣勧修寺光豊の子権大納言宣豊の末裔で、宣豊が一家を興し芝山と称した。さらに8代のち、芝山慶豊になり、従二位坊城俊政の三男坊城祐豊がその後を継ぎ、明治17年(1884)7月8日子爵となる。

墓は、谷中霊園 乙10号左7側。渋沢栄一墓門の向かい側。