島村鼎甫(しまむらていほ)/島村紫軒    天保元年〜明治14年2月某日(1830-1881)

    医家・洋学者。名、鉉仲。通称、貞蔵、のち鼎甫。号、紫軒。岡山出身。姓、平(のち島村家を継ぐ)。若くして姫路の仁寿校で漢文を学ぶ。大阪で後藤松陰に漢籍を、緒方洪庵に蘭医学を学ぶ。嘉永4年(1851)江戸で伊東玄朴に師事。翌年適塾に入門。わずか1年で徳島藩侍医となる。文久2年(1862)幕府医学所教授。明治元年(1868)新政府の医学校教授。明治2年(1869)文部大学少博士・東校教授。明治4年(1871)文部中教授。明治5年(1872)退官。訳書:「生理発蒙」、「瘡痍新説」など。兄に津下精斎(1826-1899)がいる。子に医学博士島村俊一がいる。

墓は、谷中霊園 甲9号20側。正面「島村鼎之墓」。没日に「某日」とある。