下山寛一郎(しもやまかんいちろう) 文久3年9月11日〜明治25年7月13日(1863-1892)
明治前期の教育家・文学士。父、下山一敬(長男)。茨木県結城郡出身。明治元年(1868)父に従い静岡に移住。明治3年(1870)父が大蔵省に任官となり上京。共立学校に入る。明治12年(1879)大学予備門入学。明治16年(1883)文学部に入る。病気で2年休学後明治22年(1889)東京大学文科大学史学科卒業。高等官五等となり陸軍幼年学校勤務。明治25年(1892)陸軍学校教授。東京法学院・同専門学校・哲学館等教授。病気再発のため没する。正8位。30歳。著書:「史学原理」、「万国政治歴史」、ほか幼年学校教科書・万国歴史・与地学教程等。
墓は、天王寺墓地。戸塚文海碑裏側。田代義徳墓側から入る。正面「下山家之墓」。墓誌は、「寛一」。