新荘吉生(しんじょうよしお)     明治6年6月9日〜大正10年3月11日(1873-1921)

    日本で初めてタングステン電球を製造。父、岩国藩士新荘軍平(四男)。山口県岩国出身。明治31年(1898)浦和中学校教諭。のち東京電灯に入社。その後改名した藤岡市助社長の東京電気(東芝)の技師長となる。電球が安い輸入品におされ経営が苦しいため藤岡市助・藩主吉切子爵・佐竹作太郎らの戦略で電球を研究するため米国ゼネラル電気会社に派遣される。明治38年(1905)帰国してゼネラル電気と提携し電球製造に従事。東京電気は危機を脱する。明治41年(1908)タングステン電球製造について研究するために、再度欧米に渡航。我が国で初めてタングステン電球を作る。東京電球・帝国電球・大阪電球・三保舎各取締役。従六位。49歳。

※ 東芝川崎事業所の敷地を多摩川方面に進むと、鉄索の合間からは新荘吉生・藤岡市助・山口喜三郎の三人の銅像が順に見える。

墓は、寛永寺谷中墓地。乙13号右側下。藤岡市助墓のブロック。正面「新荘吉生之墓」。