杉山四五郎(すぎやましごろう) 明治3年〜昭和3年6月13日(1870-1928)
植民地行政官関東庁事務総長。第17代京都府知事。父、小川右平太(五男)。新潟県出身。杉山叙の養子となる。明治27年(1894)愛知県内務部第1部長。明治29年(1896)内務省に転ずる。山梨県・神奈川県両県参事官。明治33年(1900)欧米留学、政治学を修業。帰国後、秋田県参事官。明治39年(1906)内務省参事官。明治44年(1911)高知県参事官。大正2年(1913)寺内内閣時の内務省衛生局長。大正4年(1915)辞して神奈川県より衆議院議員となる。原内閣時の大正8年4月12日〜大正10年6月3日(1919-1921)まで関東庁事務総長。のち宮崎県知事。加藤友三郎内閣になり免官。昭和2年(1927)4月当時犬養毅内閣内務大臣の娘婿の父・鈴木喜三郎の関係で京都府知事となるが、3ヶ月で内務省参事官に転身。昭和3年6月13日正四位勲一等瑞宝章受章。杉山叙四郎は長男。
墓は、谷中霊園乙10号10側。正面「正四位勲一等杉山四五郎/室 若代 墓」。