鈴木喜三郎(すずききさぶろう) 慶応3年10月〜昭和15年6月24日(1867-1940)
大審院判事検事・犬養毅内閣内務大臣。父、川島富右衛門(三男)。鳩山一郎の義兄。鈴木慈孝の養嗣子。神奈川県出身。明治24年(1891)司法省に入り、明治26年(1893)判事となり、東京控訴院判事・大審院判事・東京地裁所長を歴任後、検事となり、司法官本省刑事局長・大審院検事・司法省法務局長・司法次官を歴任。明治40年(1907)欧米視察。東京地方裁判所長・法学博士。大正3年(1914)第2次重信内閣尾崎行雄法務大臣の事務次官。大正9年(1920-1932)貴族院議員。大正10年(1921)検事総長。大正13年(1924)清浦圭吾内閣の法務大臣。大正15年(1926)政友会にはいる。昭和2年(1927)田中内閣の内務大臣。この頃、"腕の喜三郎"と呼ばれ治安維持法の強化を図る。昭和3年(1928)選挙干渉し辞任に追い込まれる。昭和6年(1931)犬養内閣の法務大臣。昭和7年(1932)神奈川2区から衆議院議員に当選。法務大臣から内務大臣に転じる。「五・一五事件」で犬養毅が凶弾に倒れた後、第7代政友会総裁となり、次期首相を狙うも元老西園寺公望の前に果たせず。昭和10年(1935)発病。昭和11年(1936)落選し、再び貴族院議員となるが、昭和12年(1937)総裁を辞意を表明するも、後継が決まらず昭和14年(1939)の任期満了まで勤める。なお、右翼団体「国粋会」の顧問・総裁も務めた。夫人は、鳩山和夫の長女カヅ(加寿子、昭和4年4月23日歿)、鳩山一郎の姉。従二位勲一等。74歳。
墓は、谷中霊園乙2号新2側。ニコライ墓北側。本山白雲作の胸像がある。正面「鈴木家之墓」。鳩山和夫の実兄 小川盛重(加寿子の伯父) 墓が隣接する。