高橋一勝(たかはしいっしょう)    嘉永6年〜明治19年8月4日(1853-1886)

    中央大学創始者。埼玉県出身。東京帝国大学法学部出身。明治12年(1879)法学士、帝大卒の弁護士(代言人)の先駈。代言組合長を3年間勤める。その間、東京府会議員も勤める。明治18年(1885)「英吉利法律学校(中央大学)」を東京府神田錦町に設立した一人。他に増島六一郎、穂積陳重江木衷などがいる。増島六一郎、高橋一勝、山下雄太郎、磯野計らは神田錦町一丁目に代言事務所「東京攻法館」を設立した。しかし、三菱の岩崎弥太郎が3人分の留学資金を出してくれる話があり、話し合いの結果高橋ひとりが残り、「東京攻法館」は開店休業状態となった。コレラに罹り病没する。34歳。

墓は、谷中霊園 乙4号下5側。通路角。鳥居が目印。正面「先祖代々之墓」。右面「法学士高橋一勝之墓」。