鷹司信子(たかつかさのぶこ)/浄光院 万治2年〜宝永6年2月7日(1659-1709)・・・1651説あり
5代将軍徳川綱吉の正室。父、左大臣従一位鷹司教平。母、後水尾天皇第一皇女梅宮(文智女王)。兄、関白鷹司房輔。妹、霊元天皇中宮鷹司房子(新上西門院)。6代将軍徳川家宣の御台所近衛熙子とは再従姉妹。幼くは、従姫と呼ばれる。関白左大臣藤原房輔の養女。寛文4年(1664)当時上野国館林藩主であった徳川綱吉と結婚、綱吉と共に神田橋の屋敷「神田館」で過ごす。延宝8年(1680)綱吉の将軍就任により江戸城大奥に入る。宝永6年(1709)綱吉没後、落飾し浄光院と称するも、綱吉の死から1ヵ月も経たないうちに死去。52歳。このため、柳沢吉保が綱吉を隠居させ、自分の子吉里を将軍にしようとする陰謀を知った信子が、陰謀に乗せられている綱吉を殺し、自分も自殺したなどという話もある。疱瘡に罹り死亡したとする説が有力。50歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓裏手にあったが、平成2年に解体され、二の御霊屋に改葬。徳川家基墓前。「浄光院殿贈従一位円巌珠心大姉」。