田中耕造(たなかこうぞう)     嘉永4年〜明治16年11月7日(1851-1883)

    文部権少書記官・東京府会議員。名、田中信雄。父、田中多衛門。仏学を修め明治3年(1870)大学得業生。司法省に出仕、のち明治7年(1874)警視庁10等出仕。明治8年(1875)元老院大書記生。明治10年(1877)1等警視属・1等大警部。明治11年(1878)1等警視補。元老院大書記官の沼間守一が明治11年(1878)に設立した政治結社「嚶鳴社(おうめいしゃ)」に島田三郎・小池靖一らと参画(後に、河津祐之・肥塚竜・島田三郎・草間時福・田口卯吉・金子堅太郎・末広重恭らが参加)。明治12年(1879)歩兵中尉兼務。フランス遊学。明治13年(1880)文部権少書記官。正七位。辞官し、著訳に専念。明治15年(1882)東京府会議員。自由新聞に入社。33歳。著書:「仏国民法国字解」、「日本立法資料全集別巻」。

墓は、谷中霊園 甲4号3側。正面「田中耕造之墓」。