田代信徳(たしろしんとく/のぶのり)     明治24年〜昭和39年11月25日(1891-1964)

     日本大学医学部名誉教授。父、、田代義徳(長男)。東京出身。東京帝国大学医学部卒業。大正11年(1922)ドイツ・オーストリア・イタリア・スエーデン各国を遊学。大正12年(1923)日本大学専門部医学科初代教授。日本大学医学部名誉教授。昭和2年(1927)医学博士。東京田代病院長。昭和35年(1960-1965)日本歯科大学初代教授。下谷医師会会長。73歳。長男の田代公徳は、東京田代外科八重洲クリニック院長。

田代秀徳(たしろひでのり)     明治33年〜昭和62年11月20日(1900-1987)

    哲学者・新潟大学長。父、田代義徳(三男)。東京出身。大正14年(1925)東京大学文学部哲学科卒業。立教大学・京都大学・弘前大学教授。東海大学客員教授。昭和34年(1959)新潟大学長。著書:「日本の伝統的文化」、「生活と哲学的思索」、「東洋のこころ日本のこころ」、「歴史の哲学的意義」、「近代人と宗教」、「無一物中無尽蔵」、「生命的現実の哲学」など多数。87歳。

墓は、天王寺墓地。田代基徳墓の傍。正面「田代家之墓」。

信徳:法名なし。
秀徳:「仏心院道秀徳居士」。禅語の「柳緑花紅」(柳は緑、花はくれない)と記してある。
公徳:法名なし。合祀。