戸田忠綱(とだただつな)    天保11年12月3日〜大正11年1月28日(1840-1922)

    高徳藩第2代藩主・下野国高徳知事(栃木県)、のち曽我野知事。高徳戸田家3代。父、戸田忠至(長男)。江戸の宇都宮藩邸で生まれる。慶応3年(1867)山陵奉行見習。明治2年(1869)父の隠居に伴い高徳藩第2代藩主となる。のち、従五位下備後守に任官し、高徳藩知事となる。明治3年(1870)藩庁を下総曽我野藩に移し曽我藩知事となる。廃藩置県で免官。明治15年(1882)隠居し家督を子の戸田忠義に譲る。御料馬「金華山号」などに乗馬されるため明治天皇に馬術を指南した。明治3年(1870)に曽我比盗_社の南に曽我野陣屋(千葉市中央区曽我)を設置し下総国曽我野藩主となった。100m四方もあったといわれるが、明治4年(1871)廃藩となり短命に終わった。秋元興朝は弟。秋元春朝は義甥。

墓は、谷中霊園乙13号1側。戸田忠至墓の隣り。子の高徳戸田家4代戸田忠義墓もある。