徳川厚(とくがわあつし)    明治7年2月21日〜昭和5年6月12日(1874-1930)

    初代徳川厚家・男爵。父、徳川慶喜(四男)。母、側室中根幸。徳川慶喜家から二家の男爵家(四男徳川厚・九男徳川誠)を分家させた片方。明治15年(1882)15歳で分家。10歳で男爵。学習院卒業。文学を好み号を龍山とする。貴族院議員に当選3回。東明火災保険取締役。従三位勲一等。56歳。子に長男徳川喜翰、二男徳川喜堅、三男徳川喜好(1899.12.25-1959.5.22)、四男徳川喜知(1901.5.28-1929.11.27)、長女徳川喜久子(1902.10.29-1923.12.18)、二女徳川喜和子(1910.10.31-1997.8.21)。正室、里子。

徳川里子(とくがわさとこ)     明治11年4月23日〜昭和29年3月1日(1878-1954)

     徳川厚の正室。父、第14代越前福井藩主松平慶永春嶽(まつだいらしゅんがく:1828-1890)(二女)。徳川家達とは従兄妹。華族女学校を卒業。日本赤十字社篤志看護夫人会会員。喜翰・徳川喜福(大木遠吉の養子)・喜好・喜知・喜久子(徳川慶久の子と同姓同名)・喜堅の6子がある。76歳。

徳川喜翰(とくがわのぶたか)     明治30年1月21日〜昭和13年5月10日(1897-1938)

徳川厚の長男・男爵。昭和5年(1930)襲爵。貴族院議員。従四位勲四等。42歳。

徳川喜堅(とくがわよしかた)     明治40年10月2日〜昭和46年12月11日(1907-1971)

徳川厚の二男・男爵。徳川喜翰の弟。昭和15年(1940)兄喜翰の養子となり襲爵。特許庁技師。特許局審査第2部勤務。東京高等工科学校講師。陸軍少尉。従五位。64歳。夫人澄子は、福岡県大藪守治の長女。

墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓右側通路先右角。正面「徳川家墓」。