鳥居清信(とりいきよのぶ) 寛文4年〜享保14年7月28日(1664-1729)
江戸前期の浮世絵師。父、浮世絵師鳥居清元。大阪出身。貞享4年(1687)父と江戸に出る。歌舞伎の看板絵を描いていた父のともに役者絵を描き、役者の一枚絵の鳥居派役者絵様式を完成。菱川師宣の影響を受け、また狩野派や土佐派の画法も取り入れ独自の画風を築き、鳥居派の役者絵様式を完成させた。代表作に「立美人」「傘持美人」などがある。台東区史跡。
鳥居清忠(とりいきよただ)・2世 ?〜嘉永3年(?-1850)
江戸末期の浮世絵師。本名、山口嘉右衛門。のち鳥居を称する。父、不詳。江戸出身。薬種商を業とする。余技として絵を鳥居清長に学ぶ。美人画を得意とする。「松山令寿信士」。玉林寺より改葬。
鳥居清忠(とりいきよただ)・3世 文政元年〜明治8年(1818-1875)
江戸末期の浮世絵師。本名、山口嘉右衛門。のち鳥居を称する。2代鳥居清忠の子。江戸出身。絵を父および2代清満に師事。土佐派。別号、三礼堂・昇竜軒。流祖鳥居清信より7世。美人画を得意とする。勘亭流の書が得意で芝居看板・番付の揮毫で有名となる。58歳。「山応奇水信士」。玉林寺より改葬。
鳥居清貞(とりいきよさだ) 弘化元年?〜明治34年2月14日(1844?-1901)
幕末明治期の浮世絵師。名、斉藤松次郎。通称、鳥居長八。はじめ歌川国芳の門に入り、国芳没後は歌川清満に師事。清貞と改名。58歳。「顕徳院清貞日果居士」。
鳥居清忠(とりいきよただ)・4世? 明治8年〜昭和16年9月20日(1875-1941)
日本画家・劇画家。鳥居派7代目。父、鳥居清貞。東京神田出身。別称、斉藤南陵。土佐派を河辺御楯に学ぶ。芝居看板・番付の揮毫を業とする。67歳。「雅道院」。
鳥居清忠(とりいきよただ)・5世? 明治33年〜昭和52年(1900-1977)
日本画家・鳥居派8代目。父、先代鳥居清忠。大正3年(1914)小堀革丙音に師事。大正4年(1915)言人と号する。大正7年(1918)鏑木清方に師事。昭和16年(1941)鳥居清忠を襲名。歌舞伎絵を業とする傍ら、鏑木清方の門下として伊東深水・小早川清・山川秀峰らと伍し、美人版画で一家を立てる。
墓は、妙顕寺(池之端2-4-19)。本堂裏手、通路の突き当り付近。墓石には、夫婦と父母の戒名が書かれている。鳥居家関係の墓碑は全部で4基ある。
※ 写真1枚目の右は、鳥居清元(?-1720)「玄哲」・初代鳥居清信(1664-1729)・初代鳥居清倍(?-1716)「一山道無」。左は、2代鳥居清倍(?-1763)「清厳院」・初代鳥居清満(?-1785)「広善院」・2代鳥居清満(?-1686)「栄昌院」・3代鳥居清満(?-1892)「円満院」。
写真2枚目は、4代鳥居清忠(?-1840)「雅道院」・5代鳥居清忠(?-1976)・鳥居清貞(?-1901)「顕徳院」。
他に、台石「長谷川」というのがあるが、玉林寺より改葬したもので、2代鳥居清忠(-1850)「松山齡寿」・3代鳥居清忠(?-1875)「山応奇水」。
なお、2代清培・3代清満・4代清長・5代清峰(慶応3年10月9日没)・6代清満(清芳)・7代清忠・8代清忠(言人)・9代清光もあるという資料もあるが、例えば清満の初号が清峰であったりするので、墓碑との厳密な関係は未調査。