津軽信枚(つがる のぶひら) 天正14年〜寛永8年(1586-1631)
津軽藩二代藩主。津軽藩初代藩主津軽為信(つがるためのぶ)の三男。為信は南部氏から独立し徳川家とのつながりを重視した。2代藩主となった信枚は南部氏の侵攻に備え、慶長16年(1611)に弘前城を築いた。その後、城下の整備、商業振興、灌漑整備等に尽力、国力の増強に努めた。また、寛永元年(1624)には弘前の東照宮を建立。これは、信枚の妻である満天まて姫(徳川家康の養女)の願い出と、天海僧正の力によると言われている。信枚は、東照宮(始めは東照社)を城内に造り、城を攻めるものは東照宮、つまり徳川家を攻めることだとし城を守った。46歳で没。
墓は、津梁院・谷中墓地。津軽信寿墓を参照。