内田嘉一(うちえだかいち)    ?〜明治32年5月12日(?-1899)

    書体研究家。教科書編集者。号、晋斎。慶応4年に慶応義塾に入門。福沢諭吉著の「啓蒙手習之文」(慶応義塾出版)の版下作成をまかされ、巻菱湖書風で書かれた書は評判が良かった。秀英舎が採用した秀英体A型仮名書風は、従来のお家流書風に決別すべく考案されたもので、その陰には福沢諭吉や内田嘉一がかかわっていたものと言われている。編集した教科書には、「小学中等科読本」、「小学読本」、「小学読本高等科」、「かなづかひはやまなび」、「地学新篇」、「実用読本 尋常科」など。

墓は、谷中霊園 乙13号3側。「有坂成章」墓前、通路沿い。