山口宗義(やまぐちむねよし) 嘉永4年〜昭和9年5月6日(1851-1934)
日本銀行監事。父、旧松前藩の兵家軍兵衛(長男)。藩の貢進生として大学南校に学ぶ。大蔵省に出仕、大蔵省主計官。のち台湾総督府財務部長。明治20年(1887)日本勧業銀行に入社。のち日本銀行に移る。明治30年(1897)退官し、国庫局長となる。正四位勲三等。漢詩人としても知られ、昭和5年(1930)多数の貴重な漢籍を郷里島根県の松江図書館に寄贈した。84歳。建築家の山口半六の兄。学習院院長の山口鋭之助の兄。子に帝国海軍中将の山口多聞(青山墓地)がいる。
山口堅吉(やまぐちけんきち) 明治16年?〜昭和40年2月17日(1883?-1965)
三菱銀行常務。82歳。
山口宗樹(やまぐちむねき) 大正6年12月24日〜平成20年7月11日(1917-2008)
大日本塗料常務。父、海軍中将山口多聞(1892-1942)。昭和16年(1941)神戸大学経済学部卒業。三菱銀行を経て、昭和43年(1968)大日本塗料に転じ、昭和45年(1970)取締役、昭和49年(1974)常務。昭和52年(1977)日塗エンジニアリング社長。平成20年(2008)多発性骨髄腫で没する。90歳。妻道子。
墓は、谷中霊園 乙12号3側。正面「山口家之墓」。