山中隣之助(やまなかりんのすけ) 天保11年?〜大正8年5月19日(1840?-1919)
明治期の実業者・衆議院議員。東京府府会議員および下院議員を数回勤める。東都実業界の縮将として、第三十二国立銀行取締役・日本鉄道会社理事。東京板紙・富士製紙・豊川鉄道・東海紙料・浪速銀行・石狩石炭・東京毛織物・東洋汽船各監査役。東京鋳鋼理事・東京商業会議所議員として活躍。この間、渋沢栄一らと行動を共にする。明治22年(1889)6月15日渋沢栄一・田口卯吉・伴直之助・安田善次郎等と「市街鉄道布設の儀」を内閣総理大臣黒田清隆に出願するも却下。明治24年(1891)11月25日川田小一郎日本銀行総裁は、渋沢栄一をはじめ園田孝吉・安田善次郎・中上川彦次郎・山中隣之助等銀行業者を招き「私設鉄道国有化」について諮り、同30日東京商業会議所に建議。79歳。
墓は、谷中霊園 乙10号13側。舗装道路側。