依田雄太郎・鈴木常太郎・鈴木豊次郎・笠原八雲・木村久之丞・清水武二郎 〜慶応3年(-1867)
原市之進暗殺者。水戸藩士原市之進は、文久3年(1863)将軍になる前の徳川慶喜の側近となるが、慶応2年(1866)12月慶喜が将軍就任後、奥番格奥詰の目付となり、薩長や諸藩志士の反対を押し切り兵庫開港の勅許を得るが、尊王攘夷の思想が兵庫開港など尊王開国に傾いたのだと憤慨する者も多く、慶応3年(1867)8月14日京都二条の官舎で結髪中、同僚の幕臣鈴木豊次郎、依田雄太郎に暗殺される。 2人は二条城近くの板倉屋敷前で、鈴木は切腹したが、依田は追っ手に惨殺される。目的達成を知り豊次郎の兄鈴木常太郎は老中板倉勝静(かつきよ)の屋敷に自首し、2日後切腹。木村久之丞は「新徴組」世話役をつとめた人物で、上層部を批判し謹慎となるが脱走した。この事件は、山岡鉄舟、高橋泥舟がそのかしたものといわれている。これらの3人と阿州美馬郡貞光村出身の木村久之丞は、山岡鉄舟が全生庵に納めた「尊攘遺墨」と題される連名帳に名がある。 これには坂本竜馬の名も見られる。笠原八雲と清水武二郎については、役割など委細不明。
墓は、全生庵墓地(谷中5-4-7)。山岡鉄舟墓の横。向かって左り脇。正面「依田雄太郎/鈴木常太郎/同 豊次郎/笠原八雲/木村久之丞/清水武二郎 墓」。依田雄太郎・鈴木常太郎・鈴木豊次郎の墓は、京都東山の長楽寺と水戸の常磐共有墓地にもある。