横瀬寸松(よこせすんしょう)/横瀬 貞(よこせさだ?) 文久2年5月10日〜明治39年5月11日(1862-1906)
掃苔家。名、貞。字、子幹。号、寸松。父、旧石川浜田藩士河鰭省斎(二男)。母、伊東氏。石見(島根県)出身。幼児期に家庭で教育を受け後東京で長期に遊学する。のち、大蔵属となる。傍ら古墓の調査をし「近世名家碑文集」を著わし、友人である田口卯吉が明治26年(1893)12月刊行する。45歳。娘の清が継ぐ。
※ 近世名家碑文集: 171の碑文が掲載され、64名の撰者の情報がある。
※ 河鰭省斎(かわばたしょうさい:1826-1889): 石見浜田藩士儒者。横井小楠に師事。帰藩後、藩政に参画。のち藩校「道学館」の教授となる。
墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。山門から入り、左側の墓地。道路際の塀寄り。正面「横瀬貞/妻繁子 之墓」。略歴あり。島田鈞一撰文。
※ 島田鈞一(しまだきんいち:1866-1937): 中国文学者。島田篁村の長男。第一高等学校教授、東京文理大教授、東方文化学院東京研究所研究員などをつとめた。