嶋田篁村(しまだこうそん)    天保9年8月18日〜明治31年8月27日(1838-1898)

    漢学者。名、重礼。字、敬甫。江戸出身。海保漁村、安積艮齋、安井息軒(1799-1876)に師事。昌平黌に入り、安井息軒の親友の塩谷宕陰の推薦で昌平黌助教となる。維新後は東京の下谷に家塾双桂精舎を開いた。同時に東京帝国大学教授となった。文学博士・学士院会員。清朝考証学を研究した日本最初の漢学者。書籍を好み、蔵書20000巻に及ぶ。また、古硯を愛し、病床にても愛硯を撫で自らを慰めたという。門下に日清戦争時に諜報活動をした石川伍一(1866-1894)、安井小太郎(朴堂:安井息軒の外孫、篁村の娘と結婚)らがいる。篁村は大野右仲の妹と結婚し義弟にあたる。長男に中国文学者の島田鈞一がいる。著書:「篁村遺稿」、「篁村文稿」。

墓は、天王寺墓地。芳野金陵墓裏側。天王寺累代墓前。正面「篁村嶋田先生墓」。