大野右仲(おおのうちゅう)    天保7年〜明治44年6月11日(1836-1911)

    新選組隊士。唐津藩士。別名、又七郎、松川精一。父、大野肯堂(塩谷宕陰の娘婿)。19歳で江戸に出て昌平校などで学ぶ。戊辰戦争では藩主小笠原長行の命で会津戦争に参加、その後出身を問わない新選組に入隊。新選組頭取を経て、土方歳三直属の陸軍奉行添役となる。最後は、箱館(函館)で土方歳三と共に戦ったが降伏し、弘前の薬王院に収容された後、旧藩に引き渡される。その後、明治3年に放免となり、翌年には明治政府に出仕、長野、秋田、青森などの警部長を歴任したのちに退官。東京都芝田町の自宅で死亡。76歳。著書:「箱館戦記」など。なお、妹澄子は、嶋田篁村と結婚した。

墓は、天王寺墓地。塩谷宕陰墓裏手。墓標には「大野氏累代之墓」。