随性院/養仙院/八重姫(やえひめ)     元禄3年〜延享3年(1690-1746)

    水戸藩世子徳川吉孚(とくがわよしざね)の正室。本名、鷹司理子。父、関白鷹司輔信。伯父鷹司兼熈の養女となり、のち将軍徳川綱吉の養女。元禄11年(1698)徳川吉孚と結婚。一女美代姫を設ける。美代姫は、讃岐高松藩主の養子宗堯の正室となる。宝永6年(1709)吉孚が没すると、落飾し養仙院のちに随性院と称する。吉孚は、世子であったが、藩主になる前に没した。

墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓裏手に浄光院墓と共にあったが、平成2年に解体され、二の御霊屋に改葬。