千葉立造(ちばりつぞう) 弘化元年4月12日〜大正15年2月24日(1844-1926)
山岡鉄舟の侍医。名、顕親。通称、立造。号、愛石。陸前黒川郡糟川村出身。母を病気で亡くし、医者を志し、東京で医学を学ぶ。岩佐病院副長の山岡鉄舟に激発される。のち、鉄舟と共に全生庵を建立する。鉄舟の臨終を看取る。83歳。三男千葉真一(1880-1964)は、順天堂医院耳鼻咽喉科医長、のち独立。
※ 山岡鉄舟と兄弟以上の仲であったという。墓石を半分にして、それぞれの墓を建てたとの伝聞があるそうだが、鉄舟墓は角柱型で、立造墓は自然石型であることから、実際の墓碑からはそのようには見えない。
墓は、全生庵墓地(谷中5-4-7)。三遊亭円朝墓の隣り。墓碑裏の来歴は、高橋泥舟(精一)識。明治26年2月の文面である。立造の没時には、すでに泥舟は没していることや、表裏に書かれた内容、状態から推すと、寿碑を立造没後に墓碑にしたのではないだろうか。没年日が、文面ではなく、最後に継ぎ足したように見える。なお、三遊亭円朝は、鉄舟の禅弟子。