大泉寺(だいせんじ)     創建:慶長16年2月15日(1611)

場所: 台東区谷中6-2-13
アクセス: 地下鉄千代田線千駄木駅団子坂口下車。谷中方面に三崎坂を上がり、上がりきった辺りの右側に観智院(初音幼稚園)があるので、その前の道を右に入り、約200mの左側。

     清林山大泉寺。天台宗。本尊阿弥陀如来木像。浅草新堀東光院の末寺として神田北寺町に創られる。開基は、権大僧都慶賢。慶安元年(1648)11月御用地となり現在地(旧上三崎町13番地)に移転。元禄16年(1703)火災に遭い、7年後の宝永7年(1710)客殿新築。明和9年(1772)火災に遭い、客殿・庫裏の再建の完成真近にまたも類焼に遭う。安永9年(1780)伊賀屋宇右衛門の尽力により再建。関東大震災で倒壊し、昭和6年(1931)本堂を昭和9年(1934)客殿と庫裏を再建。戦災の被害は少なく平成元年以降順次改築をし寺観を一新した。明治31年(1898)の美術学校の事件「美校騒動」のときに、総辞職した教授たちが決起のため集合した場所としても知られる。

※ 美校騒動: 明治31年(1898)美術学校校長の職にあった天心に個人的恨みを持った教官らが、天心の失脚を図って画策、怪文書により誹謗中傷を加え辞任に追 い込んだもの。その結果、岡倉天心を始めとして橋本雅邦・横山大観・下村観山・菱田春草ら多数の教官が退任し日本美術院を結成した。なお、高村光雲は、賛同し大泉寺に集合したが辞職はしなかった。

下記のお墓がある。墓地は、山門前の路地を入った左にもあるが、下記は境内墓地にある。

浪曲師東武蔵
彫刻家・版画家戸張孤雁
暦算家・幕府天文方山路徳風・山路諧孝