江木高遠(えぎたかとう)    嘉永2年〜明治13年(1849-1880)

    元老院権大書記官・外務一等書記官。福山出身。父、江木鰐水(四男)。安政3年(1856)福山誠之館に入る。明治元年(1868)長崎にて勉学。明治2年(1867)大学南校(東京大学の前身)に入る。アメリカコロンビア法律学校に留学。一時帰国したが、再び留学し卒業。帰国後外務書記官となる。明治13年(1880)吉田清成駐米大使に随行しアメリカに渡ったが、同年旅先にて死亡。正六位。弟に江木松四郎・江木保男がいる。江木保男の先妻江木蝶子との子に江木定男がいるが、妻の江木ませ子は、鏑木清方の代表作「築地明石町」のモデル。江木保男の後妻は、江木ませ子の実の姉悦子。

墓は、谷中霊園乙7号10側。父、江木鰐水に並ぶ。外国にて没したため遺骨はなく、墓標は遺髪墓である。墓標裏に経歴が記録されている。