古屋作久左衛門(ふるやさくざえもん) 天保4年〜明治2年6月14日(1833-1869)
幕臣・蘭学者。名、勝次。通称、勝太郎。筑後(小郡)出身。筑後国御原郡古飯村(福岡県小郡市)の庄屋の高松直道(二男)。高松凌雲の実兄。大阪で医学を修め、江戸で洋学を学び、江戸で塾を開き洋学を教えていた。幕臣古屋家を相続して旗本となる。神奈川奉行支配定役を経て歩兵差図役となり、横浜に駐屯していた英国軍隊に用兵術を学ぶ。慶応4年(1868)「衝鉾隊」を組織、新選組が甲府に向かったころ会津に向かった旧幕府軍の衝鉾隊隊長。弟高松凌雲と同様に榎本武揚、新選組の土方歳三、永井尚志らとともに函館五稜郭で新政府軍と戦うが戦傷死。37歳。
※ 衝鉾隊は、無頼漢揃いの歩兵中心の部隊で柄が悪く行く先々で住民などに迷惑をかけたと言われる。
墓は、谷中霊園乙2号10側。弟の高松凌雲墓の近く。正面「古屋家之墓」。「是性院釈法城」。