現龍院(げんりゅういん)     創建:寛永5年(1628)

場所:    台東区上野公園15-25
アクセス:  JR鴬谷駅南口から上野公園方向に行き、突き当りを左に、すぐ右の道に入り、この道の出口右側角。



    東叡山寛永寺現龍院。天台宗。本尊:阿弥陀如来木像、ほか地蔵菩薩銅像・五大尊二脇士付き木像・僧形文殊菩薩木像・同普賢菩薩木像・毘沙門天木像。千葉三塗台(長福壽寺)の学頭を兼任した学僧であった権大僧都什誉師の創建。真岡藩主稲葉佐渡守越智正成の開基で、法名を現龍院道範と言い、寺の名前になっている。寛永寺36坊の一つ。正成の前室の春日局が天海僧正と図って、正成を弔うために新規に建立した寺だという。元禄9年(1696)、宝永6年(1709)、明和9年(1772)にそれぞれ焼失した。創建の地は信濃坂(善光寺坂)上にあった。享保5年(1720)山下の下寺通り(現、現龍院墓地につながるJR線路上)に移る。維新後は谷中の浄名院裏(谷中霊園桜木側入り口のケーキ屋の辺り:明治29年版古地図にて確認)を経て大正3年(1914)現在地に移転した。墓地には、徳川家光死去に伴う殉死者の墓があり、これらの墓も現在地(JR線路側)に移転し存続している。この辺りの寺は、区画整理などで移転させられたもので、寺団地を構成しているが、近くに墓地を持つ寺は少ない。かつての現龍院墓地の一部と思われる。歴代住職には高僧が多く、鈴明大僧正、鈴然僧正、公副僧正、浦井亮玄大僧正などがいる。

※ 墓地は、JR鴬谷駅南口から上野公園方向に行き、突き当りを左に道なりに進み、左側にある。門前に「慰霊碑 哀しみの東京大空襲」がある。

殉死者など下記のお墓がある。

秋葉又右衛門稲葉正成内田正信荻山主税助小高隼之助・鈴木佐五右衛門三枝守恵乗蓮院/徳川隆子戸祭源兵衛